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大阪高等裁判所 昭和61年(う)493号 判決 1986年12月26日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一〇月及び罰金八〇〇万円に処する。

右罰金を完納するとができないときは金五万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

この裁判確定の日から二年間右懲役刑の執行を猶予する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人中村紘毅作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官永瀬榮一作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

論旨は、要するに、本件において、被告人には脱税の故意がなかつた。原判決は、信用性に欠ける被告人の検察官調書の信用性を認め、本件租税申告前後の特殊な事情を捨象して被告人の脱税の故意を肯定したものであつて、事実を誤認したものである、というのである。

そこで、検討するのに、原判決挙示の証拠に当審における事実取調べの結果をも併せると、本件の経緯は、概略次のとおりであつたと認められる。すなわち、被告人は、京都市立〇〇小学校教頭を最後に、永年の教職を退いたものであるが、昭和五七年一二月ころ、ウエストン貿易株式会社大阪支店のBの勧誘により、いわゆる商品の先物取引に手を出し、損失を取り戻そうとして金融業者からの借財をも重ねるなど漸次深みにはまつた結果、それまでの損失を回復するためにはさらに巨額の資金を必要とする立場に追込まれ、同五九年三月ころ、不動産仲介業有限会社山科土地代表取締役Cの仲介で、まず、大翁商事株式会社社長のDに対し、次いで、同年四月ころ、株式会社しようざん外一名に対し、自己所有の土地合計五筆を、代金合計三億円で売渡し(但し、ウエストン貿易における商品取引で成功すれば買戻す旨の事実上の買戻し特約付き)、そのころ右代金を受領した。しかし、ウエストン貿易での商品取引は、結局完全な失敗に終つたため、被告人は、同年九月ころ、Cに対し、土地の買戻しができなくなつた旨告げたところ、同人から、「買戻せないと、かなり税金がかかる。はつきりしたことは計算してみないとわからないが、七〇〇〇万円位はかかると思う。」旨言われ、さらに、同年一〇月ころには、重ねて「税金は七〇〇〇万円位かかると思うが、金もないことなので、五〇〇〇万円位で申告できるよう知合いの税理士にでも頼んであげる。……売つた土地はまだ未登記でいずれ宅地に造成することになるが、その造成費用も経費にみてもらうようにすれば、五〇〇〇万円位で何とか治まると思う。」との説明を受けるに及び、同人の言に従い、とりあえず必要な費用(四六〇〇万円)を捻出するため、同五九年一一月ころ、自己所有の山林を三一七万五〇〇〇円で売却するなどして、金四六〇〇万円をCの指示で京都中央信用金庫醍醐支店に定期預金として預金した。その後、被告人は、昭和六〇年一月ころ、Cから、「税金の件は、本部の事務局長のEという人に頼んでおいた。」旨告げられ、その数日後には、Eからの電話もあつて、間もなく、その指示に従い、必要な書類と印鑑持参のうえ、全日本同和会京都府・市連合会事務局本部に赴き、同連合会事務局長Eと面談して、申告手続を依頼した。その数日後、Cの妻Fからの連絡でC方へ赴いた被告人は、Cから税金のことを任されているというG(同連合会辰巳支部事務局長)と面談し、前記醍醐支店の定期預金四六〇〇万円の解約手続をしたうえ、これをGに手交したところ、同人はその一部をEに渡し、Eにおいては、同月二二日、原判示のとおり、被告人の昭和五九年分分離課税の長期譲渡所得金額に関し、株式会社ワールドの有限会社同和産業からの借入れにつき被告人が連帯保証人となり、右ワールドの破産により右連帯保証債務を履行するため不動産を譲渡し、その譲渡収入で同年一一月二〇日二億四〇〇〇万円履行したが求償不能のため同額の損害を被つた旨仮装するなどして、虚偽過少の所得税確定申告書を提出し、直ちに申告税額七五七万一五〇〇円を納付したうえ、右申告書控等を被告人に返還すべくGに交付した。他方、Gから連絡を受けた被告人は、かねての約束どおりその直後、残金四〇〇万円を同人に手交するとともに、前記虚偽過少の確定申告書控、納付書、領収証書及び地方税分として別途二三〇万円の交付を受け、Gらの納付した税額が、かねてCから言われていた金額よりもはるかに少額で、自己がGに交付した金員の大部分は、全日本同和会に対するカンパ金等として受領された事実を知つたが、何ら異議を唱えることなく、そのまま納期限を徒過させた。以上のとおりである。

ところで、証拠によれば、Eの行つた被告人の所得に関する虚偽過少申告が、全日本同和会におけるかねてよりの方針に基づくものであつて、これが、同会京都府・市連合会会長H及び前記Gらとの共謀に基づくものであることは疑いを容れないが、被告人自身については、自己の所得税確定申告に関しかかる不正手段を使用して税を免れるというまでの事前の認識を欠き、Eの確定申告書提出の時点までに同人らと右の点に関する共謀を遂げていたとはいえないのではないかという合理的な疑いを払拭することができない。たしかに、①被告人が、当初Cから、七〇〇〇万円位の税金がかかるが、これを五〇〇〇万円位で申告できるようにしてやる旨言われていたこと、②その後、全日本同和会の事務局へ赴いた段階からは、自己の税金の申告を右同和会を通じて行うことになる旨を認識したことなどは、「同和会を通じてする申告が正当なものだとは思つていなかつた。」旨の被告人の検察官調書の記載を支持する客観的事実関係であるかのように見られないことはない。

しかし、他方、被告人は、原審以来、「検察官から理詰めで追及されてやむなくそのような内容の調書に署名押印したものであつて、真実は、右①の段階においてはもちろん②の段階においても、C、Gらが不正な手段で虚偽過少の申告をするとは考えていなかつた。」との趣旨の弁解をしており、右取調べ当時被告人は終始在宅の身ではあつたが、E、Gら同和会関係者が不正手段による申告をしていたことが判明していた圧倒的に不利な状況の中で、検察官から理詰めで追及されれば、被告人があくまで脱税の故意がなかつた旨を言い張ることは、しかく容易なことではなかつたと認められるから、この点に関する被告人の自白調書の信用性については、慎重な吟味が必要であると解される。そして、右の観点から考えると、前記①②の点は、いずれも、右自白調書の信用性を強く保障する事情であるとまでは認め難いといわなければならない。すなわち、まず、①の点について、被告人は、Cの当初の七〇〇〇万円位という話も確定的なものではなかつたので、のちに税理士に相談した結果五〇〇〇万円に節税できたのだと考えた旨弁解しており、ことがらが何ぶんにも複雑な税金の計算・申告に関するものであるだけに、租税実務にうとい被告人が、単純に右のように思い込むことは十分ありうると考えられるから、右①の点は、それだけでは、被告人の脱税の犯意を強く推認する事情であるとはいえない。次に、②の点について考えると、右の段階において、被告人は、自己の確定申告が同和会を通じて行われる事実を認識したものであるから、前記①の点に②の点をも加えて考えれば、被告人が、E、Gらによる確定申告に不正手段が用いられることを十分認識しえたのではないかとの疑いもないわけではないが、同人らにおいて、被告人に対し確定申告の内容については一切知らせていないこと、右の段階においても、あたかも五〇〇〇万円ないしこれに近い高額の申告をするかのように装つており、右金額は、約三億円の譲渡所得額からみて、常識上明らかに不当に低いものであるとまではいえないこと、被告人は、Gから、「税金のことは、次官通達もあり、ちやんとやつているので心配はない。……Aさんには準会員になつてもらつて税金の申告をやつてもらつています。」などとも言われたというのであつて、そうであるとすれば、租税実務にうとい被告人としては、同和会に対して与えられている何らかの事実上・法律上の特例を通じ、自己が納税額のうえで若干の優遇措置を適法に受けうると誤信することも、ありえないことではないと思われることなどの諸点をも念頭に置いて考察すれば、前記②の段階においても、(Gらの真意を見抜けなかつた点に重大な落度があつたことは明らかであるにしても、)被告人が未必的にもせよ脱税の犯意を抱いていたと断ずるには、なお合理的な疑いが残るというべきである。

そうすると、これと異なり、被告人が事前に脱税の犯意を抱いていた事実を前提として、G、C、Hらと順次意思あい通じ共謀のうえ、虚偽過少の確定申告書を提出するなどして原判示税額を免れた旨の事実につき被告人を有罪と認めた原判決は、事実を誤認したものといわなければならず、右事実誤認は、判決に影響を及ぼすことが明らかなものであるから、原判決は、破棄を免れない。論旨は、理由がある。

よつて、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書に則り、当審において予備的に追加された訴因に基づき、次のとおり自判する。

(罪となるべき事実)

被告人は、自己の所有する京都府長岡京市<住所省略>ほか五筆の田及び山林を昭和五九年三月二二日から同年一一月一五日までの間に三億三一七万五〇〇〇円で売却譲渡したことに関して右譲渡にかかる所得税を節約しようと考え、全日本同和会京都府・市連合会事務局長Eに対し、右譲渡所得の確定申告手続を依頼したところ、同人らにおいては、被告人の実際の五九年分分離課税の長期譲渡所得金額は二億七〇四五万六二五〇円、総合課税の総所得(配当所得、給与所得)金額は五三万六〇〇〇円で、これに対する所得税額は八三七〇万三〇〇〇円であるにもかかわらず、株式会社ワールドが有限会社同和産業(代表取締役H)から三億円の借入れをし、その債務について被告人が連帯保証人となり、右ワールドが破産したことから右連帯保証債務を履行するために右不動産を譲渡し、その譲渡収入で同年一一月二〇日二億四〇〇〇万円履行したが、右ワールドに対する求償不能により、同額の損害を被つた旨仮装するなどしたうえ、同六〇年一月二二日、京都市右京区西院上花田町一〇番地の一所在の所轄右京税務署において、同署長に対し、被告人の五九年分分離課税の長期譲渡所得金額は三八〇一万六二五〇円、総合課税の総所得金額は五三万六〇〇〇円で、これに対する所得税額は七五七万一五〇〇円である旨の内容虚偽の所得税確定申告書を提出した。しかして、被告人は、右確定申告書の提出の直後、EからGを介して右申告書の控等を受取り、これによつて同人らがした確定申告が現実の自己の所得金額をはるかに下回る虚偽過少のものであることを察知したが、先物取引の失敗から金策に苦慮していた折でもあつたので、これを奇貨とし、事態を放置することにより所得税の支払いを免れようと企て、法定申告期間内に修正申告等正規の税額支払いのための手続をとることが容易であつたのに、何らその挙に出ることなく納期限を徒過させ、もつて、不正の行為により右の正規の所得税額八三七〇万三〇〇〇円との差額七六一三万一五〇〇円を免れたものである。

(証拠の標目)<省略>

(補足説明)

被告人は、予備的訴因についても、犯意を否認する供述をしているが、前記のとおり、被告人は、Gから確定申告書の控等を受取つた段階で、自己の納税額が、従前Cからいわれていた金額と比べてもはるかに少額であることを認識したのであり、Gから予め次官通達とか準会員などの話を聞かされていたにしても、単に同和会の手を通すだけで、このような極端な税額の圧縮が適法になされうると考えることは常識に反すると認められること、それにもかかわらず、被告人が、Gに対し、右税額の圧縮の根拠等について何らの説明を求めることもなく、そのまま事態を放置し、納期限を徒過させてしまつたことなどに照らすと、被告人は、Gから受取つた確定申告書控等により自己の納税額を覚知した段階で、脱税の犯意を生じ、その後何ら修正申告の手続をとることなく納期限を徒過させることにより、前認定の税額の支払いを免れたものと認めるべきである。なお、弁護人は、被告人がGから確定申告書控等を見せられて脱税の犯意を生じたとしても、被告人がその後何ら積極的行為をしていない本件においては、逋脱犯の実行行為たる「偽りその他不正の行為」があるとはいえないと主張する。しかし、本件における被告人のように、自己の落度ある行為により、客観的にみて、明らかに事実に反する虚偽過少の所得税確定申告書の提出という事態を惹起した者が、これが虚偽過少のものであることを認識した場合には、速やかに、国税通則法一九条一号所定の修正申告等の措置により、適正な税額の支払いに協力すべき義務を有することは当然であるうえ、被告人が提出された確定申告書の内容を知つたのは、法定申告期限の満了日のはるかに以前であつて、被告人が右期限内に真実の修正申告をすることは容易であつたと認められるのに、被告人は、Gらによる虚偽過少の確定申告を奇貨とし、適正税額の支払いを免れるため、何らの措置に出ることなく納期限を徒過させたものであるから、かかる不作為が、所得税法二三八条一項にいう「偽りその他不正な行為」にあたること、多言を要しないところである。

(法令の適用)

「刑法六〇条」を削除するほか、原判決摘示のそれと同一であるから、右のとおり削除のうえこれを引用する。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官木谷 明 裁判官生田暉雄 裁判長裁判官松井薫は、転補のため、署名押印することができない。裁判官木谷明)

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